ピンポン 考察、漫画・アニメ・実写について考える

ピンポン表紙

引用:ピンポン1巻表紙

概要

松本大洋の漫画原作ピンポンがかなり好きになりました。私はアニメから入り、先日漫画も読んだので、ついでに実写映画も見てみました。これを比較してみたら面白いと考えました。
まずは、ピンポンのそれぞれの特徴、そして漫画、アニメ、実写映画という表現についても考察したいと野心を抱いています。

ピンポンについて

松本大洋原作の漫画で、連載はビッグコミックスピリッツ、全5巻。湘南の高校生が卓球を通してそれぞれの人生の交差点を描く、青春漫画です。
原作が書かれたのは、1996年から1997年の2年間。平成でいうと8年で、バブルを迎え米大統領はビル・クリントン、日本では日韓ワールドカップ開催が決まり、ドラマではロンバケ、小室ファミリーが大活躍そんな時代です。

各メディアの見るべき順番と完成度

見るべき順番は、漫画→アニメをおすすめします。漫画の完成度が高いですが、説明が少ないです。そういう意味では少し玄人向きかもしれません。まずは、漫画を読んで見て難しいと感じて楽しめなかったら、途中でもアニメに移ってみてください。
アニメ版は、それぞれに意味づけがはっきりしています。逆に考えや想像の余地を残してくれません。かってにイメージがついてしまうので、原作からが良いと思います。
あれ実写を忘れてないかという質問ですか、大丈夫!みる必要はありません(笑)

ピンポンの魅力と原作漫画

セリフ

印象的なセリフが、作品やある種哲学的な意味を持っています。
例えば、「血は鉄の味がする」が、血という人間を動かすエネルギーが、機械であるような感触をもたせています。月本の笑わず正確無比な技術、それでいじめられる悩みを象徴するようなセリフで素晴らしいです。
その他、ドラゴンの花に関するセリフなど、一つ言葉が多重の意味を持っています。

キャラクター

とにかく魅力的なキャラクターがとてもわかり易いです。ネーミングからして、作品でのポジションなどを表したりします。
主人公のペコは星野、ライバルであり友人は月本。

ドラマ:ストーリー

鎌倉のインターハイ予選を通して描く人間ドラマと内容がはっきりしいている。
そこから離れず、あの夏あの場所でこった事件と映画的なドラマでできています。

漫画の特性

迫力のある一枚絵

見せたいコマを大きく、線も多くかけられるため、印象的な絵を書くことができます。
ピンポンは、セリフのかっこよさと独特の画風からも、ハイセンスさが極まれます。

ストーリー展開の難しさ

反面、漫画でスポーツを書くことの難しさは絵の情報量が多く、試合一試合書くとそれだけで分量が増えるため、ストーリーが進みません。
ストーリーを見せるか、試合を見せるか悩ましいです。
というわけで、ここまでは、ピンポンを見るうえでの前置きで、ここからはネタバレを含んでいきますので、ご注意を。

ピンポンアニメの魅力 【ネタバレ有り】

映像表現

松本大洋のあのデザインを持って、卓球が持つ音やリズムを音響とカット割りで見せている。
卓球を会場に入るときなど、多くの人間がピンポン球を打つ、そのリズミカルな風景がなかなかおもしろい。おそらく卓球をしていると感じるのはアニメ版ではないだろうか。
その他、ドラゴンが打つときの龍の稲光、月本が動くときのロボットの効果音などなど。実にコミカルでいてかっこよく面白い。漫画版では細かなコマにちょっとあるのが残念だったり、迫力不足なところがある効果的なところが、アニメ版ではとても良くなっている。

各登場人物の深堀り

ドラゴン周りが一番強化されている。漫画版では、ドラゴンにだけ自分たちの強さに危機感を持っており、その社会の変化を季節を表す花の香りで表現している。ただ、本当にこれだけのセリフしかないので、明確になぜその言葉を使うかは言われない。
アニメ版では、もともとの実家が花屋の事業で失敗したこと、卓球の実力で拾われたこと。ずっと、誰にも本音を出せないことなどが良く伝わる。反面、卓球のCMがあったりやや現実の卓球の世界よりあまりに華やかな世界に、少し子どもっぽさがましている面もある。

時代の移り変わり

月本がルービックキューブからゲームに変わったたり、卓球のルールが変わったり、色々ある。ルービックキューブより、ゲームの方が私にはよりロボット感が出てよかった。

ピンポン 実写映画【ネタバレあり】

なんでこれが褒められるのかわからない。ださかっこいいのかっこいい部分をなくしてしまったような作品だ。
漫画やアニメは、書いた分すべてが表現となる。意図したことしか出せない。実写は逆であるものそれ自体が意味を持つ。そのあたりを理解せず、とにかく松本大洋のかっこいいセリフをダサかっこよくつなぎ合わせたように見受けられる。

シナリオ

私は、月本に一番共感していて好きなキャラクターなので、それを差し引いて聞いていただきたい。
YESマイコーチは、月本の世界観が変わる彼がこのストーリーにおいて、もっとも大事な瞬間である。それをセリフだけ残してしまうため、全く意味がわからずなにそれ!?って状態になる。そして、その意図を無理に入れ込んだのが、最後の試合に向かうときにルービックキューブを置いてくるという表現である。ルービックキューブってどんな存在かを考えてないのか?わかりやすく安易である。

俳優

俳優が彼ら自身のキャラクターを与えてしまう。例えば中村獅童は、細すぎてドラゴンになりようがない。スポーツをする体になってないから、コスプレみたいに見えてしまう。竹中直人は、どこかおちゃらけて見えてしまうので、月本と向き合うのに違和感が消えなず、ロボットやいじめられているようには見えない。夏木マリはおばばと呼ぶには、おばばでない。などなどなど、キャスティングには真面目に映画撮る気があるのかといいたい。

どうすべきだったか

私の言った内容にして面白くなったか、ヒットするかは微妙ではあるが少し考えを述べさせてもらう。
実写映画にするなら、漫画表現に寄せるか、ドラマにふるかのいずれかが重要。漫画表現にフルなら実写の役者などに全部アニメのエフェクトをかけてくなどして、ワーナーアニメのキャラが現実世界に見たいに作って、表現を楽しむのも一つ手だったと思える。
人間ドラマにするのであれば、原作者が許可するか微妙ではあるが、大胆に漫画的なものを抜いて、あの夏湘南の青春であることをメインに作るべきではないだろうか。
日本は原作信仰のようなものがあり、それを変えると批判の対象となる。ただ、表現する媒体、人が違えば、内容を変えざるを得ないし、変わらなければそもそも作る意味がない。
それぞれの分野での表現がきちんと良い方向に向かうことを説に願っている。

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