台湾とソロモン諸島が断交を考えるための台湾の歴史 中国の戦略で6か国目の離脱

台湾の画像

引用:AFP

パプアニューギニアの話の後に、ちょうどすぐお隣のソロモン諸島が台湾との国交を断絶し中国と国交を結んだので、その解説をしたいと思います。

と、記事を作っていたら7か国目も・・・。

今回の事件について

各誌の記事を読むと、台湾独立派である蔡英文が総統になったから、中国が圧力を強め台湾と国交を断絶するようになったという文面になっています。

実際は、2006年以前から中国はソロモン諸島の政府に食い込んでおり、インフラなど多く作って、現地住民の暴動なども起こっています。

なので、まあ徐々に中国のウシジマくん方式(※)にやられたということですね。

※敬愛する内藤先生が中国の外交戦略を漫画の「闇金ウシジマくん」と同じと表現し、非常に的を射ているのにユーモアが効いていてとても気になっています。

こんな状況を知るには、台湾の歴史を知るのが助け人なると思います。

台湾の歴史

さて、台湾の歴史を簡単に説明しましょう。

 オランダ統治から解放の時代 1624-1662-1683

16世紀、世界最初の覇権国家はオランダでした。オランダは、台湾にも要塞を築き、一部を占領しましたが、明の軍人鄭 成功により追い出されました。

 清朝の時代1683-1895

鄭 成功に解放された台湾でしたが、本国の明が満洲人の清に滅ぼされ、同時に台湾も清に組み込まれました。しかし、清は、台湾を化外の地として興味を持ちませんでした。

 日本時代 1895-1945

日本統治時代は、清が戦争に負けて台湾を割譲したところから始まります。日本統治時代にダムを作ったり学校を作ったり台湾の生活状況は向上しましたが、抗日運動をする人もいてそれは武力鎮圧などすることもありました。しかし、結局日本も米国に戦争に負け台湾は、中国に返還されることになりました。

 恐怖政治時代 1946-1987(私の勝手な時代区分)

日本の敗戦後、中華民国で国民党と共産党が覇権を争っていました。結局、蒋介石率いる国民党が負けて、台湾へと逃げ米国の威光を受け台湾を支配することになります。

統治初期国民党は、日本文化を排除・日本語を禁止、台湾に恐怖政治をひきました。しかし、国連の常任理事国でもあったことから、生活水準は向上しました。しかし、アメリカが中華人民共和国を国家として承認したことから、台湾は中国の一部という扱いになり、国連からも脱退した。

蒋介石の息子の蒋経国総統を引き継ぎ、蒋経国の死により自由化の道に進んでいきます。

 台湾時代 1988-(私の勝手な時代区分)

李登輝が総統になって、憲法を制定、自由化の道を進んだ。そして現在の状況のようなハイテク産業の強い国家となり、民進党が政権をとり、中国との対立を深めています。

 

 日本と台湾の関係

台湾人の日本の感情

戦後の蒋介石による恐怖政治によって逆に日本への肯定的な感情がうまれているようです。日本のテレビなども沢山放映されていたり、日本のもの品質が良いと感じたりもしているようです。

台湾の地政学的な位置

台湾は、尖閣諸島からわずか100km程度。日本列島と連なる島と考えてもよいでしょう。また、中国から見ると台湾と日本で蓋をする形になり、中国にとっては太平洋進出の生命線とも言えます。

 

 参考

蔡英文のtwitterは、日本語でtweetしています。蔡英文のtwitterは、こちら

AFPの記事は、こちら

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