今回のあいちトリエンナーレ報道、知事VS市長の構図はわかると思いますが、全く逆のことを言っている、誰が悪いの?何が問題なのそんな疑問を解決したいと思います。
表現の不自由展の中止になった理由
登場人物(知事・市長)
まず、二人の重要人物の対立であることがわかり、他の言論をどちらかにわけると表現の不自由展はすっきりわかります。
まず、一人目は、大村秀章愛知県知事です。そして、もう一人は河村たかし名古屋市長です。「あれ、津田大介が重要人物だろ?」と思う方もいると思いますが、そうではありません。津田氏も二人のグループに属するのです。では、グループわけをしてみましょう。
大村知事グループ:津田大介、朝日新聞、毎日新聞、共産党、NHK、テレビ朝日、韓国メディア
このグループは、今回の表現の不自由展を開催・継続したい側
河村市長グループ:政府、萩生田文部科学大臣、維新の会、産経新聞雑誌、虎ノ門ニュース
このグループは、今回の表現の不自由展が一方の政治的主張であり、行政で開催するのは不適切と主張する側です。
中止になった理由
大村知事側は、単純に不自由展で多少炎上させて来場者数を増やしたいという気持ちがあったのでしょう。まず、労働運動に生きた親を持つ津田氏をイベントの中心に置き、はしゃいでいた時点で明確でしょう。
中止をさせたのは、河村市長に見えますが実は大村知事が中止を決定した人物です。ここは推測ですが、ハレーションがあまりに大きくて今後の政治生命に危機を感じて中止にした。そして、河村市長が中止を求めたこと、脅迫があったことから、ラッキーとばかりに自分の責任回避のために中止にさせたと思われます。
脅迫があったことが中止の理由だといっていますが、まず脅迫犯がすぐ捕まったのに再開しないこと。そして、役所には時々(数か月に1回)程度は、テロや爆破予告が届きます。警戒こそしますが、そんなことでいちいちイベントを中止していたら、大イベントなぞできません。
なぜ人によっていうことが違うのか
なぜ、人によって違うかは、グループ分けのところで言ったことのおさらいですが、どちらの側にも自分の主張に有利な点、そしてそれが相手の不利なるからです。
まず、大村知事側に有利な点は、制限したい側が権力を持っていることです。つまり、知事側は弱者を装うことができます。
次に河村市長側の有利な点は、表現の不自由展その後が明らかに一方的な政治的な立場を展示しているからです。
まあ、こんな対立だったわけですが、問題の本質はそこではありません。次にそれを説明します。
表現の不自由展その後 問題の本質について
表現の自由(検閲、表現の自由について)
表現の自由についてどう考えるが一つのポイントです。表現の自由は、法的にできる守られるべきものです。ですので、検閲の禁止も法定されています。しかし、表現の自由は無制限ではありません、自由は肉体の自由>精神の自由>経済の自由の順に守られます。つまり精神の自由も絶対ではなく、公共の福祉のために制限されます。他人を罵倒する自由は存在しないわけです。
こういった意味で今回の展示は、明らかに天皇・戦争中の日本人を侮蔑するものであり、これが公共の福祉に反するかどうかが論点になるべきものです。
ただ、河村市長の発言が表現の自由を侵したと言えば、そういうこともあるのかなと思います。
しかし、大村知事は弱者を装うために検閲だと叫んでいました。これは勘違いで、最高裁で海外ですら他に表現の場があれば、検閲にならないと判決が出ています。ということは、表現の不自由展 その後は、元々表現の不自由展を再演したものですから、開催前から検閲との対象ですらありません。
補助金(行政)
そして、今回一番もめる理由の根幹はここにあると考えています。行政は補助金をばらまきまくっています。税金が足りない何のその、年間何兆円が補助金になっているかわからないぐらいです。その割に、補助金には大した基準がありません、明確にダメになるのは政教分離です。基本的に法的に決まっているのは、手順や手続きについてです。
また、行政は補助金などで自衛隊・神社などは、避け、原爆反対・労働運動・外国人差別反対については許してきたこともあります。天皇制等を肯定的に見る人が増えたため、今回の問題がクローズアップされたともいえます。
そして、文科省の補助金の不交付も疑問が持たれます。文科大臣が補助金を不交付にすることを決めました。危険になることを報告なかったという話でした。それって補助金交付の基準だったのかと言われると疑問です。それは、表現の自由を制限する行為で、それこそ検閲でないにしても権力の濫用と言われてもおかしくないものとも言えそうです。
おまけ:中止したことが問題
さきほども言いましたが、テロ予告なぞくるものです。そんなわけで、行政がいちいち相手にしていたら、その手法が有効だということになってしまいます。なので、さらなる予告を産むことになるでしょう。
長々書いてしまいましたが結論を言います。
補助金の拠出に関する基準が不明確である。
表現の自由は守られるべきだが、絶対的に守れるものではない。
問題がわかりづらくなる理由
一つは、日本型左翼のよくやることなのですが、常に弱者のポジションをとることを考えるため、内ゲバ(内部での争い)を始めるため、途中から大村VS津田、大村・津田VS表現者などと、内々で争い始めます。さらに、朝日新聞、毎日新聞は一番弱者の後ろにつき、人に批判されないようにポジション取りをするのはさすがです。
こうやって、一見誰と誰がもめているかわからなくなるようですが、大きくは別の意見をもった陣営、もう一つは内部でもめている。これがまざるのでわけわからなくなります。
関連動画
最も法律にのった言論がなされている番組
内藤陽介氏の動画
私は、内藤先生のファンなので、全く公平性がありません。しかし、他の方とは全く違った表現の不自由たるならこんなことをやって欲しいという紹介の動画。
津田大介氏の会見
わりと公平なことを言っているじゃないでしょうか。変な茶化す動画を出さず最初からこのような姿勢ですれば、問題も大きくならなかったかもしれません。
大村知事
まあ、頭が悪いとしかいいようがない。語るに落ちています。100万歩ゆずって、最高裁判決が謝っていて検閲の定義が違いこれを検閲と再定義するとして、検閲したのは中止を決定した知事本人だからです。表現の自由を委縮されているのは、知事本人なのです。むしろ、テロ予告があろうが開催するぞという方が表現の自由を守ることなのではないかと思います。
今回の内容の根拠
私は、補助金に関連する業務を3年ほど実務経験しており、補助金については多少の知見があります。
アニメ好きということもあり、少し表現については考えるところもありますが、実際は社会科教員免許を持っていることもあり、法律なども勉強することが好きで、そちらに詳しいことの方が説明には助けになっると思います。
記事書くのに時間をかけてたら再開するようですね。見に行くかな。
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